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私の好きな歌人   

1、千恵子抄の愛と真実 高村光太郎  
 智恵子抄は純愛の名作として名高いが、その陰の部分は封印されたままだ。書かれたのは美化された千恵子であり、片面の千恵子は彼方に追いやられている。父の死、生家の没落、身内の相次ぐ死、一家離散などによる精神的苦悩に加え、経済的困窮が千恵子の精神をさらに混乱させていった。光太郎との生活においても実家に心と経済的な拠り所を求めてきたが、そのいずれの支えも失い、そのことが一層病気を悪化させた。
 自己を失い狂って凶暴になった千恵子は7時間もの間独り言や叫びを続け、かと思うと急に静かになり鎮静の時をむかえる。ときに近くで大勢の人を前に訳の分からない演説をしたり、窓から通行する人に向けて大声でわめいたりして、交番から何度も注意された事もあった。
 これが智恵子抄に書かれなかった発狂した千恵子の姿である。智恵子抄はその意味において、知られたくないものを隠した不完全なものとも言える。しかし、光太郎の千恵子に対する愛は智恵子抄に表れた領域をはるかに越えて純化していった。
 荒れる千恵子をけっして見捨てず、疲労困憊しても賢明に介抱した。そんな光太郎に千恵子もすべての信頼を寄せ、ゼームス坂病院では面会の光太郎に寄り添って、いつまでも離れなかったという。苦しみの極限の中でも二人は心を確かめ合い、『ほんとうの愛』で結ばれていたのだ。
 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 かうやって言葉すくなに座っていると、
 うっとりねむるような頭の中に、
 ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
 この大きな冬のはじめの野山の中に、
 あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを
 下を見ているあの白い雲にかくすのは止しませう。

2、思いの翔をもった自由の人  与謝野晶子
 閉鎖的で封建的な明治の時代にあって、妻子ある人へ愛を高らかに歌いあげ、時代的呪縛を解き放つと同時に、『きみ死にたもうことなかれ』と戦争への警鐘を鳴らした昌子の勇気と熱情は、自由を謳歌する現在においてもなお燦然と輝いている。
 歌集『みだれ髪』にみる自由な自己表現と奔放な情念の横溢は、自らの心の真実を太陽の下にさらけ出しながら、歌を観念から解放した先駆的なものである。
 『臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春の想いのさかりの命』
 『かたちの子春の子血の子ほのおの子いまを自在の翔なからずや』
 『いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れてゆく春』

3、凡人のおおいなる非凡  小林一茶
 一茶の生きた時代は今から200年も前のことである。この時代は各地で、強訴、打ち壊し、一揆などが頻発した重税と貧困の時代である。とても風流に俳句などたしなんでいる時代ではなかったのである。何故に一茶は食える当てのない俳句に生涯をかけたのか。奉公先ではいわゆる働き者ではなかったため職を転々としたが、苦しい生活のなかでも俳句を捨てなかった。
 一茶は俳句が何より好きだった。自分の気持ちを歌にすることが何よりの楽しみだった。中央俳壇からは二流に位置づけられ、悔しい想いをしながらも時の赤裸々な心情を歌にかえた。知己が続々と家庭を持つ中で、彼は51歳まで独身で俳諧の荊の道を歩んだ。切迫する時代にも人の言動に左右されることなく、終始マイペースで歩んだ。
 一茶の残した2万句は平凡なありふれた言葉で綴られているが、身近な事象としてそこかしこに魂の叫びが満ちあふれ、臨場感を伴って我々を引き込んでしまう。彼こそおおいなる非凡だったのだ。
 『名月を とってくれろと 泣く子かな』
 『めでたさも 中位なり おらが春』
 『これがまあ ついの栖か 雪五尺』








 

by kousyuusai | 2005-11-26 07:26 | トピックス

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